上のイラストはクリッカブルになっています。
紫色の地点には、写真を用意していますので、クリックしてみてください。
地図記号にも、写真が表示されるものもあります。
↑ この図の作成にあたってはカシミール3Dを使用しました。
面積 | 11.79平方km |
人口 | 150人 |
人口密度 | 12.7人/平方km |
宿 | 6件 |
商店 | 2件 |
食堂 | 1件(居酒屋) |
レンタカー・レンタサイクル | なし |
水 | 井戸水を汲み上げて使っています |
電気 | 島内の発電所より供給 |
テレビ | 民放が1チャンネル少なかったような気がするけど、ほぼ受信可 |
ラジオ | AMは、韓国語放送が邪魔をするものの、辛うじて受信可 FMは未確認 |
携帯電話 | DOCOMOのみ使用可 キャンプ場の裏に電波塔があります |
開発センター裏のキャンプ場から | 港 | 5分 |
恋人岬公園 | 45分 | |
東温泉(メインルート経由) | 40分 | |
東温泉(稲村岳南の遊歩道経由) | 35分 | |
坂本温泉 | 70分 | |
硫黄岳登山道入り口から | 展望台(登り) | 60分 |
展望台(下り) | 50分 |
俊寛とは
彼を含む3人は平家討伐の密計を企て、それがバレたために硫黄島に島流しにされた。良寛以外の二人は数年後に許しが出たが、良寛だけは島に残されたまま。来る日も来る日も、今日こそは迎えの船が来るはず、と希望を抱きつつ、海を眺めて毎日を過ごした。が、失望により、37才で食を断って自害した。
可哀想といえば可哀想なんだけど、私としては、罪人なんだから仕方がないのでは?とも感じた。それにしても、硫黄島に平家城があったくらいだから、そこへ島流しにしたって、どういうことなんだろう???
開発センター前に、船を追いかける俊寛の像が建っています。
人家のエリア
稲村岳の東側には人家が見あたりませんでした。港から500mの範囲内に島民の殆どが住んでおり、その他のエリアには牧場経営者しか住んでいなさそうです。
関連リンク
薩摩硫黄島
三島村(鹿児島県の観光案内です)
どや(友人が書いた三島の旅行記です)
東和航空株式会社(硫黄島へのチャーター便の会社です)
三島村役場 鹿児島市名山町12-18 (0992)22-3141 ・・・ ホームページなし
三島村営フェリー (099)222-3141 ・・・ ホームページなし